裏庭で飼っているニワトリが怪我して、治療費が650オーストラリアドル(日本円にすると5万5千円くらいかなあ?)やったらしい。
クリスマス直後の義姉のお誕生会で聞いた話。
(田舎の中華料理のレストランでは、卓上にお箸はない。←どっちでもいい情報)
こちらオーストラリアではクリスマスデーの12月25日とその翌日26日は祝日。
この悲劇は今年のクリスマス連休中に発生したらしい。
祝日の救急外来での治療やったから、余計に治療費が高かったんよね。
クリスマスランチに招かれた若い夫婦が連れて行った犬が、ちょっと目を離したスキにホスト宅裏庭で放し飼いにされているニワトリの一羽に噛みついた。
傷口がパックリと大きくあいて、出血もひどかったとのこと。
瀕死のニワトリ抱えて、慌てて動物病院の救急外来に運んだって。
なんとか一命をとりとめたらしい。
それにしても、650ドルあったらどれだけの卵買えるんやろう?
っていうか・・
このにわとりは、これから何個の卵産んだら今回命を救ってもらった恩返しができるんやろう?
いっそのこと、ニワトリ絞めて皆で美味しく食べたほうが良かったんちゃうやろうか?
しかし、ニワトリの飼い主は断固としてそれを拒否したとのこと。
犬の飼い主の若夫婦が治療費を一旦払ったらしいが、ニワトリの飼い主は「いや、これは我が家の庭で起こったことやから、こちらが払います。」となり、
「いや、犬の犯した過ちは飼い主の私達の責任やから、やっぱり私達が・・・」と、
延々この繰り返し。
まだ結論が出てないって。
まるで大阪の喫茶店などでよく見かける、おばちゃん達の支払い時のやりとりのよう。
「私が払うって」
「いや、あかん、うちが!」
「やらしいな、あんたら財布しもうてっ」
「あんた、こないだ払ってくれたから、今日は私や」
「いや、ええって。うちが払うっっていうてるやん」
茫然とするお店のレジのお姉さん・・・・・・
この光景が私の目に浮かんだ。
ニワトリの治療費、たとえ折半しても結構な金額である。
追記
オットの一族郎党はとにかく人数が多い。
毎年クリスマス前後と復活祭前後の連休時、飽きもせず数日にわたって似たような顔ぶれが違う場所に集まって暴飲暴食+毎回同じような話をする。
しかし、このニワトリの話は初めて聞く話であり、かつ私にとっては衝撃的であった。
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2017年12月26日火曜日
手紙
手紙を手で書くことがいつからこんなに億劫になったのか。
英語圏に長く生活しているわりには英語もさほど上達してない。
「日本語がどうも書けなくなって・・」いう言い訳はまったく通用しないことはよくわかっている。
小学生の頃、従妹の仕事仲間の男性と手紙のやり取りをしていた。
私の稚拙な手紙に彼は毎回丁寧な返事をくれた。ブルーの万年筆で縦書きに書かれた綺麗な文字。封筒は白の縦型。よく覚えている。
この男性と従妹は当時20代の半ばだったと思う。二人は恋人同士もなければ婚約者という関係でもなく、実際この二人はその後まったく別の人と結婚している。彼は子供好きだったのか、寂しかったのか、暇を持て余していたのか…いや、もしかしたらやはり従妹に仕事の同僚以上の気持ちがあったのかもしれない。
妹と一緒に梨狩りに連れて行ってもらったり、ドライブに行ったり。従妹と一緒だった時もあるが、私と妹だけの時もあった。
今から思えば不思議である。
地方出身でひとり住まいの彼は、私達が住んでいた狭い社宅にも週末よく遊びに来てくれた。小学生の女の子二人、今なら親として警戒したかもしれない。しかし、私の両親はこの男性におおいに好意を持っており、心から信頼していたのだろう。
彼が結婚してからも奥さんと一緒に我が家を訪ねてくれた。私は彼の奥さんのことも大好きだった。
よい時代。
その男性におよそ半世紀ぶりに先日手紙を出した。従妹が最近その男性と久しぶりに再会する機会があり(素晴らしい!)、私に彼の住所を教えてくれた。
メールアドレスではなくて。
書きたいことが沢山ある。まずパソコンで下書きをしてから便せんに清書をするつもりでいた。しかし何度試みても、便せんへの清書はえらく時間がかかる。そして情けない乱筆。いや、乱筆どころのレベルではなく、もう泣きたくなった。
結局はパソコンに打ち込んだ下書きをそのままクリスマスっぽいイラストが入ったレター用紙に印刷して、署名のみ直筆で書いて封筒に入れて投函。住所と宛名は辛うじて手で書いたけど。
自分のことばかり書き連ねた、しかも活字の怠惰な手紙を送っておきながら、私は彼からの返信を期待している。小学生の頃に心躍らせながら彼の手紙を楽しみにしていたあの頃のように。
2017年12月25日月曜日
クリスマスおめでとう!!
クリスマスは嫌い・・・とか言いながら、毎年クリスマスランチは義姉宅で
「ごっつぁん族」の私。
超甘やかされてます。
まあ、なにはともあれ、なんか知らんけど、クリスマスおめでとう!!
2017年12月22日金曜日
2017年12月17日日曜日
割引きのシール
実家の近所のスーパーにて。
生鮮食料品売り場のレジ後ろのカウンターで、夕方に見ず知らずの中年男性に話しかけられた。
気さくで感じの良い、仕事帰りのビジネスマンやった。
「ひとり暮らしでっか?」 そのおっちゃんは綺麗なナニワ口調で私に言った。
私 「はあ? あっ はい・・・ いいえ・・ あの・・・」
そのおっちゃんは今年初めから単身赴任中で、家は奈良。聞きもしないのに自己紹介してくれた。
「私、遠方に住んでるんですけど、実家の片づけのためにちょっと今こちらに帰省してるんです。」
とこれまた聞かれもしないのに、初対面のこのおっちゃんに説明している自分がなんだか滑稽。
「ああ、大変やね。 わかりますよー。うちも去年実家の片づけやりましたから」などと見知らぬこのおっちゃんは私を労ってくれた。
手短かに不用品引き取り業者の選び方などもアドバイスしてくれはりました。
先月の日本一時帰国中、実家の片づけに追われた。
夕方にスーパーでおひとり様用のおかずを買って、隣町に嫁いでる妹が事前に冷蔵庫に入れてくれていた缶ビールで晩酌して夕食・・という日がしばらく続いていた。
父が介護サービス付き高齢者住居に引っ越す前、ネットで大量購入して死蔵品と化した「さとうのご飯」をチンして。
以前は、帰省のたびに父の手料理でふたりで晩酌してたのになあ・・・
近所のこのスーパーでは午後6時半になると、3割引きから5割引きのシールが貼られて超お買い得の品が沢山ある。
聞いてはいたけど、ほんま高齢者含めて独り暮らし用の食材や出来合いの食品が充実してることを今回は実感した。
私のバスケットの中に3割引きと半額シールが貼られたおひとり様用出来合いパックが複数入っていたのを見て、このおっちゃんは私に声をかけてくれたのだと思う。
多分そう。
そのおっちゃんのバスケットの中にも、割引きシールのパックがいくつかあった。
そして缶ビールも。
「ここね、お刺身とお寿司は特にお値打ちやで。」とおっちゃんは言った。
おっちゃんは舶来っぽい上等なビジネスバッグを横に置いたまま、手際よくバスケットの中のお買い上げ品をエコバックに詰めた。
このスーパーの常連なんやろう。
ビジネスバッグの中にエコバッグ入れて通勤してはるんやね。
どう表現していいのかわからんけど、単身赴任の悲哀よりもむしろひとりの生活を楽しもうとしている様子が何となく感じられる。
おっちゃんの手元ふと見たら、カフスボタンが目に留まった。
これで上着の内ポケットから黒の長財布と名入りの万年筆なんか出てきたら、もう私のタイプ。
なーんて、これは後で思ったこと。
「さあ、帰ろかぁー」とため息まじりにおっちゃんは自分に言い、ビジネスバッグとエコバックを持ち上げた。
「ほな」と私に短く声をかけてくれたので 「お疲れ様でした」と返す。
この日の夕方、ちょっと元気出た。
2017年12月14日木曜日
マザー・テレサ
母が他界した後、長年ひとり暮らしをしてきた父。
先月、介護サービス付き高齢者住宅に入居した。
今回の一時帰国の”やることリスト”の最重要項目は 「ザ・ 実家の片づけ」である。
1週間後にオットが日本に到着する。それまでに何とかだいたいのメドをつけたかった。
まず不用品と有用品の選別に数日かかった。
不用品回収業者の3社から見積もりを取り、同時に地域の可燃物と不燃物回収日には自力で
ゴミ出して・・
ああ、しんど。
父は定年後、陶芸や書道などの習い事に情熱を注いだ。それらの作品と道具が山のようにある。
それから、父は料理好き。
「これ、本当に独り暮らしの男性の台所?」と疑うほどに食器含めて台所用品が多い。
マンションの管理組合やら町内会の役員、そして近所の神社の氏子代表などなど・・
地域活動に長い間参加させていただき、地域の皆さんに支えられた幸せな父。 それはええ。
しかし、当時の雑多な地域活動の書類がこれまた山積みになったまま。
靴箱の中には「あんたはイメルダ夫人か?」と思われるほどの靴がずらりと並んでる。
タンスの引き出しには新品の衣類がぎっしり。
中途半端にパソコンとインターネットが操れる父は、ネットショッピングが大好き。
ここ数年は買い物に外出することが億劫になり、好きだった料理にも興味が失せたのだろう。
ネットでの買い物にかなり依存していたことは知っていた。
しかし、在庫管理に問題ありあり。
大量に死蔵品と化したものが次々と出てきて茫然とした。
昭和4年生まれの父は、神戸の下町で生まれ育った。
戦中戦後の物資が不足した大変な時代を生き抜いてきた。
私達が子供の頃、食べ物はもちろんのこと、生活全般の贅沢と無駄遣いに超厳しかった父。
なのに!
と腹を立ててみたり、母が死んでからよくひとりで長年頑張ったなあ・・・とも思ってみたり。
よーし、父を反面教師として私は絶対に父のようになるまいと強く心に誓う。
死後に残したものは2枚の質素な木綿のサリーと着古しのカーディガン、そして常に持ち歩いた布袋のみだったというマザー・テレサを目標に。
先月、介護サービス付き高齢者住宅に入居した。
今回の一時帰国の”やることリスト”の最重要項目は 「ザ・ 実家の片づけ」である。
1週間後にオットが日本に到着する。それまでに何とかだいたいのメドをつけたかった。
まず不用品と有用品の選別に数日かかった。
不用品回収業者の3社から見積もりを取り、同時に地域の可燃物と不燃物回収日には自力で
ゴミ出して・・
ああ、しんど。
父は定年後、陶芸や書道などの習い事に情熱を注いだ。それらの作品と道具が山のようにある。
それから、父は料理好き。
「これ、本当に独り暮らしの男性の台所?」と疑うほどに食器含めて台所用品が多い。
マンションの管理組合やら町内会の役員、そして近所の神社の氏子代表などなど・・
地域活動に長い間参加させていただき、地域の皆さんに支えられた幸せな父。 それはええ。
しかし、当時の雑多な地域活動の書類がこれまた山積みになったまま。
靴箱の中には「あんたはイメルダ夫人か?」と思われるほどの靴がずらりと並んでる。
タンスの引き出しには新品の衣類がぎっしり。
中途半端にパソコンとインターネットが操れる父は、ネットショッピングが大好き。
ここ数年は買い物に外出することが億劫になり、好きだった料理にも興味が失せたのだろう。
ネットでの買い物にかなり依存していたことは知っていた。
しかし、在庫管理に問題ありあり。
大量に死蔵品と化したものが次々と出てきて茫然とした。
昭和4年生まれの父は、神戸の下町で生まれ育った。
戦中戦後の物資が不足した大変な時代を生き抜いてきた。
私達が子供の頃、食べ物はもちろんのこと、生活全般の贅沢と無駄遣いに超厳しかった父。
なのに!
と腹を立ててみたり、母が死んでからよくひとりで長年頑張ったなあ・・・とも思ってみたり。
よーし、父を反面教師として私は絶対に父のようになるまいと強く心に誓う。
死後に残したものは2枚の質素な木綿のサリーと着古しのカーディガン、そして常に持ち歩いた布袋のみだったというマザー・テレサを目標に。
2017年12月10日日曜日
軽自動車
私は軽自動車が好き。
低燃費、高性能で高品質。
日本でレンタカー借りる際はいつも軽自動車を指定する。
高速道路の料金も割安だから、私達の身の丈にぴったりや。
オーストラリアには軽自動車がない。
今回、日本で妹の軽自動車に運転者含めて4人で乗るという経験をした。
父が最近入居した介護サービス付き住居に半日の外出届を出して、近所で父と一緒にお昼ご飯を食べた日に。
軽自動車に4人はさすがにきゅーきゅー!
えらいことになった。
父の歩行車(父はこれをマイカーと呼んでいる)が妹の軽自動車のトランクに入らず、私が膝の上に ”父のマイカー” 抱えての苦しいドライブ。
オットが座席をぎゅーっと前に移動させてくれたので、オットの膝は必然的に折れてる。
そう、体育座りのような感じ。
近距離のドライブでホンマ良かった。
後で考えたら、妹の後ろに父のマイカー抱えての私、助手席のオットの後ろに小柄な父が座ればよかった。
もう遅いけど・・
次回はそうしよう。
あと何回、こうやって父と一緒に外出できるかな?と考えるとちーと寂しい。
2017年12月4日月曜日
居酒屋にて
しばらく日本に一時帰国してました。
実家の近くの居酒屋で、常連客らしい初対面の女性から過分な頂きものをした。
居酒屋の大将経由で、あの気前の良すぎる女性にお礼状書いたところ。
たまたま隣り合わせに座ったその彼女は、日本舞踊と生け花を教えているとのこと。
えらく愛想のいい人で色々と話が弾むうちに・・・
「ちょっと待って。私ね、近くに住んでるの。二人にあげたいモンあるから」と言って、お店から姿を消した。
しばらーく経って店に戻ってきた彼女は、すんごい量の振り分け荷物!
「いや、初対面の人からこんなお宝の山をもらってええのん?」
明治時代の豪華絢爛な帯をほどいて彼女が作ったテーブルセンターやら、ナンやら色々。
こんな気前のええ人、でも、どうしよう・・・
酔いが醒めたら、後悔するんとちゃうやろうか? いや、さほど酔うほどまだ飲んでないみたいやけど。
大将は「もろとき、もろとき! まだまだ持ってるねんから」って言うてるしなぁ。
なんだかんだで最後お勘定の際、オットはその気前の良すぎる初対面の女性の分もそっと一緒に払ってくれてた。
しかし、そんなことくらいで私達の超恐縮の気持ちを埋め合わせることはできない。
母が他界した後、独り暮らしの父がよく来ていたこのお店。
大将は父をよく覚えてくれてはりました。
先月、父が介護サービス付き住居に入居したことを大将に報告した。
もう父がこのお店にお邪魔することはないやろう。
でも、次回の一時帰国の時も私はこのお店にまた来させていただこうと思ってます。
実家の近くの居酒屋で、常連客らしい初対面の女性から過分な頂きものをした。
居酒屋の大将経由で、あの気前の良すぎる女性にお礼状書いたところ。
たまたま隣り合わせに座ったその彼女は、日本舞踊と生け花を教えているとのこと。
えらく愛想のいい人で色々と話が弾むうちに・・・
「ちょっと待って。私ね、近くに住んでるの。二人にあげたいモンあるから」と言って、お店から姿を消した。
しばらーく経って店に戻ってきた彼女は、すんごい量の振り分け荷物!
「いや、初対面の人からこんなお宝の山をもらってええのん?」
明治時代の豪華絢爛な帯をほどいて彼女が作ったテーブルセンターやら、ナンやら色々。
こんな気前のええ人、でも、どうしよう・・・
酔いが醒めたら、後悔するんとちゃうやろうか? いや、さほど酔うほどまだ飲んでないみたいやけど。
大将は「もろとき、もろとき! まだまだ持ってるねんから」って言うてるしなぁ。
なんだかんだで最後お勘定の際、オットはその気前の良すぎる初対面の女性の分もそっと一緒に払ってくれてた。
しかし、そんなことくらいで私達の超恐縮の気持ちを埋め合わせることはできない。
母が他界した後、独り暮らしの父がよく来ていたこのお店。
大将は父をよく覚えてくれてはりました。
先月、父が介護サービス付き住居に入居したことを大将に報告した。
もう父がこのお店にお邪魔することはないやろう。
でも、次回の一時帰国の時も私はこのお店にまた来させていただこうと思ってます。