私には同姓同名の友人がいる。
漢字も同じ。
そんな人、なかなか日本でも会うことがなかったのに。
出会いはメルボルン。
もう10年ほど前やったかなあ・・
私の名前は苗字もファーストネームも結構どこにでもある名前なんだけど、ファーストネームの漢字はやや珍しい。
なのに・・・
ファーストネームの漢字も同じ同姓同名の彼女。
ある人を介してメルボルンで知り合った。
私に同姓同名の彼女を紹介してくれた人も、ファーストネームが実は私達とこれまた偶然同じ。
漢字は違うねんけどね。
ここ数年、同姓同名の彼女はメルボルンを離れてニュージーランドに住んでいる。
先日、出張でメルボルンへ来る機会があって週末我が家に投宿し、楽しいひと時を過ごした。
私のオットは彼女のことをSame Name Same Kanji と呼ぶ。
この同姓同名の彼女とメルボルンで知り合った当時、同じファーストネーム(漢字はそれぞれ違う)の人数名でちょっとした社交グループみたいなものを結成してメルボルンの街中で映画を観たり、食事したりしてた。
仕事帰りに同じファーストネームの人たちで集まって食事に出かけたある夜のこと。
レストランで「あれ、誰の名前で予約したんやったっけ?」と一人が店先で言うて、皆で大笑いしたことがあった。
電話でレストランを予約する際、ファーストネームで予約するのが一般的。
ここにいるのは皆、同じ名前やんか!
そんなあんなを懐かしく思い出しながら、同姓同名の彼女を空港へ見送った。
今度はいつ会えるかなあ?
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2019年2月13日水曜日
ブラインドデート
ホバートでひとり自由行動の午後、海が見えるちょいと洒落たカフェで一休み。
静かにぼーっとしていたいという気持ちと裏腹に、なんでか知らんけど耳が象みたいになって周囲の話を聞いてしまうヤラシイ私。
隣のテーブルの男女はこの日初対面らしい。
ははーん、ブラインドデートってやつやな。
どうもマーガレットという女性が仲人。
二人の会話に何度も「マーガレットから聞きました。」が繰り返される。
この二人、父娘ほど(いやもしかしたらそれ以上に)年齢が違うように見える。
他にもテーブルは空いてたのに、私よりも後に来たこの男女はわざわざ私の隣のテーブルを選んだ。
海が真正面に見えるからやろう。
事前にお互いの写真を交換していたらしい。
「すぐにあなただとわかりました・・・」とお互いに言うてる。
爺さんはすごく身なりが良い。
お嬢さんも「タンスで一番」着てきましたって感じ。
でも、彼女の装いは午後の明るい陽射しが降り注ぐ海沿いのカフェにはなんとなくそぐわない。
「写真よりも実物の方が魅力的です」と爺さんはこの若いお嬢さんにぬけぬけと言った。
同じセリフを毎回どの女性にも言うとるんやろう・・などと静かに私は舌打ちする。
テーブルの下に隠してた赤い薔薇の花束なんぞを今にも差し出しそうな雰囲気。
どうしよう?
いや、別に私が困ることはない。
「私はお金が好き。お金は大切。貧困家庭で育ったから・・・」
この若いお嬢さんはよく通る声でハキハキと爺さんに話してる。
大胆かつ正直過ぎる彼女の発言に私は息をのんだ。
お金持ちだからこの爺さんと見合いしたのか?
確かにお金は大切やけど。
あの二人、あれからどうなったんかいなあ?
ホバート滞在中に撮った写真の整理しながら、ちょいと気になる。
2019年2月10日日曜日
歩道の銅像
先月、タスマニア島のホバートに滞在した時のこと。
往来で両足が同時に突然攣って歩けなくなるという、人生初の経験をした。
交差点を渡ってすぐの歩道で、私はまるで銅像のよう。
この時手ぶらやった。なのでいとも簡単に一人で銅像になれた。
日曜日の昼下がり、町のど真ん中やのに人通りがほとんどない。
この週、タスマニア島は記録的な猛暑。
その影響で山火事があちこちで発生して、エライことになってた。
私達が滞在したホバートも、周囲の山火事の煙の臭いが立ち込めてね。
消防車と救急車が頻繁に行ったり来たり。
そんな大変な時に、とても親切な救急車の隊員に私は胸を打たれた。
救急車が交差点で信号待ちの時、歩道で突っ立ったまま動けなくなっている私に車から声かけてくれはったんです。
「大丈夫ですか?」って。
私、よっぽど様子がおかしかったんやと思う。
「両足が攣って今ちょっと歩けないんです。」とは恥ずかしくて言えなかった。
なので「大丈夫です。ありがとうございます。」と答えたが、実は大丈夫じゃない。
信号が変わって、救急車が去った後
何分くらいそのまま歩道で銅像を演じたのか、よく覚えてないなあ。
まだちょっと攣ったまんまの両足で歩き始めた。
しかし・・・
ホテルまでほんの200メートルそこらの距離が、この時は2キロくらいに思えた。
亀のようにゆっくりどころか、ナメクジより遅かったやろう、私。
ホバートはシドニーに次いで古い町で、沢山の歴史的な美しい建物があちこちに残る素敵な場所。
普段は空気が澄んで、ホバートのシンボル的存在のウエリントン山も今回は山火事の煙に包まれて見えたり見えなかったり。
タスマニア島を初めて訪れたのは、もう20年近く前。
父と妹の家族と一緒に車で1週間ほどかけて旅行した。
美しい自然が最大の魅力であることは言うまでもないが、タスマニアで会う人はとにかく親切で優しい。
そこに父は大いに惹かれて、その後再度父の希望により父と私はタスマニアを旅した。
今年で父は90歳になる。
もう父がオーストラリアに来ることはない。
しかし、タスマニアには父との楽しい旅行の思い出が沢山ある。
今回の親切な救急車の隊員のことも、私は忘れないやろう。
往来で両足が同時に突然攣って歩けなくなるという、人生初の経験をした。
交差点を渡ってすぐの歩道で、私はまるで銅像のよう。
この時手ぶらやった。なのでいとも簡単に一人で銅像になれた。
日曜日の昼下がり、町のど真ん中やのに人通りがほとんどない。
この週、タスマニア島は記録的な猛暑。
その影響で山火事があちこちで発生して、エライことになってた。
私達が滞在したホバートも、周囲の山火事の煙の臭いが立ち込めてね。
消防車と救急車が頻繁に行ったり来たり。
そんな大変な時に、とても親切な救急車の隊員に私は胸を打たれた。
救急車が交差点で信号待ちの時、歩道で突っ立ったまま動けなくなっている私に車から声かけてくれはったんです。
「大丈夫ですか?」って。
私、よっぽど様子がおかしかったんやと思う。
「両足が攣って今ちょっと歩けないんです。」とは恥ずかしくて言えなかった。
なので「大丈夫です。ありがとうございます。」と答えたが、実は大丈夫じゃない。
信号が変わって、救急車が去った後
何分くらいそのまま歩道で銅像を演じたのか、よく覚えてないなあ。
まだちょっと攣ったまんまの両足で歩き始めた。
しかし・・・
ホテルまでほんの200メートルそこらの距離が、この時は2キロくらいに思えた。
亀のようにゆっくりどころか、ナメクジより遅かったやろう、私。
ホバートはシドニーに次いで古い町で、沢山の歴史的な美しい建物があちこちに残る素敵な場所。
普段は空気が澄んで、ホバートのシンボル的存在のウエリントン山も今回は山火事の煙に包まれて見えたり見えなかったり。
タスマニア島を初めて訪れたのは、もう20年近く前。
父と妹の家族と一緒に車で1週間ほどかけて旅行した。
美しい自然が最大の魅力であることは言うまでもないが、タスマニアで会う人はとにかく親切で優しい。
そこに父は大いに惹かれて、その後再度父の希望により父と私はタスマニアを旅した。
今年で父は90歳になる。
もう父がオーストラリアに来ることはない。
しかし、タスマニアには父との楽しい旅行の思い出が沢山ある。
今回の親切な救急車の隊員のことも、私は忘れないやろう。