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2018年12月29日土曜日

人の振り見て我が振り直せ

クリスマスを直前に控えた午後、オットが仕事の納品に個人のお宅へ行くというので同行した。

私は車の中で待ってたけど、前庭から玄関へと通じるその通路の散らかりようったらもう。

「いや〜 こんな荒れ果てたお客さんのお宅へお邪魔したのは初めてや!」とオットは言った。

「どうぞ、中へお入り下さい」と親切に言われたらしいけど、
オットは即「いえ、ここで失礼します!」と玄関先で用事済ませて逃げるように車に戻ってきたらしい。

人の振りみて我が振り直せ!やな。

どんなことがあっても、往来から見える前庭と玄関周りは綺麗にしとかんといかん。


2018年12月22日土曜日

2018年11月日本一時帰国 その5 最後のフライト

関空からこちらへ戻る国際線の飛行機でのこと。

高度を下げ始める時に、パーサーからの機内アナウンスで機長がこのフライトを最後に退職する旨のお知らせがあった。

そのパーサーのアナウンスがとても感動的で、この機長がいかに仲間から信頼かつ慕われているのかが手に取るようにわかって、私は涙ぐんでしもうてね。
人間的であったかくて、客室乗務員を代表して本当に自分の言葉でしゃべっている感じがした。

機長はもともと空軍のパイロットだったとのこと。その後、30年以上にわたってこの航空会社の空の安全に大きく貢献してきたとパーサーは語った。

その後すぐに機長からの挨拶。

機長のこれまた胸がジーンとするような、だけど決して長すぎない挨拶が終わった時、乗客から大きな拍手がわき起こった。

私達が飛行機から降りる際には機長が客室乗務員の数人と一緒に乗降扉近くに立って、乗客一人一人と握手してはりました。
そして私も!

「退職後もお身体に気をつけて、どうかますますお幸せに。」

なんやろう!この嬉しい気持ち。
この便に搭乗できて良かった。
私の頭に爽やかなエンデイングテーマみたいなものが一瞬小さな音量で流れた。




2018年12月21日金曜日

2018年11月日本一時帰国 その4 おしょーこー

実家の仏壇を処分した。

妹の意向によりお寺に閉眼供養をお願いすることに。
父は全てを近くに嫁いでいる妹に一任すると言った。

閉眼供養って何?
仏壇の魂を抜く儀式らしい。
魂だと? 

まあ、ええわ。

その閉眼供養の日、住職がやって来た。
母の月参りの時なんかとは異なった読経が30分近く続いて、途中で火打ち石を仏壇前で激しく切って大きな火花が散った。
正座している私の足が痺れ始めた頃に「お経」が「マジナイ」みたいにやや変化した。
マジナイではなかったかもしれんが、私にはそう思えたんよね。

最後に住職は座布団から下りて私たちに静かにこう言いました。

「お焼香、どうぞ」

座っていた位置としては私の方が仏壇と住職に近かったし、私は腐っても一応長女。
しかし・・・

「おしょーこーって何?」

おしょーこー ➡️ お焼香 ➡️ で、どうするんでしたっけ??

妹に目で「あんた、先にやって」と促したらね、
妹は私の目玉に大きく浮かんだ??を即座に読み取ってくれた。
すまぬ!

母が他界した直後に父は仏壇を購入し、檀家として金銭面から考えると全く身の丈に合わないお寺との関係を俄かに構築した。その後長年にわたって父はかなり背伸びしてお寺との付き合いを継続して来た。

父に信仰はあるのだろうか? 

信仰が人生の助けになる人もいるし、宗教は文化や芸術にも大いに力を貸したと思う。
お墓や仏壇に手を合わせることで、心が静かになると言う人もいて、私は否定しない。

全くの無宗教である私に比べて、妹には何らかの信仰心があるのだろう。
嫁ぎ先の宗教や義弟(妹の配偶者)の信仰に影響を受けているのか、受けてないのか、そこはよくわからないが。
家族でもそれぞれ違う。違うのが当たり前。むしろ違っていていいと私は思う。

今回の閉眼供養も、彼女が言うには仏壇を処分する際の「常識」とのこと。
妹の常識と同じ常識を持たない姉の私に、妹はいつもイライラしている。

積極的な宗教心を伴わずに、惰性や手続きや慣習にこだわるのはちょいと納得がいかない。お寺や墓地に縛られてそれらがストレスとなり、少なからぬ支出が頭痛の種になるならそれもどうかと思う。

「仏壇の前でお焼香の仕方もわからんくせに、年に2回だけ日本に来てごちゃごちゃ言わんといて!」
よな〜

関空からメルボルンへ戻る日の前日に、やっと実家は空っぽになった。
妹と一緒に掃除も完了。
売却仲介業者も決まった。
よーし、万歳!

実家の売却準備に際して、大いに私を助けてくれた長年私の姉代わりのような元仕事仲間、そして色々と相談に乗ってくれた学校時代からの友人達、最後に親戚(特に母方の従姉妹)に感謝します。みんなのお陰です、ホンマ。
おおきに!





2018年12月20日木曜日

2018年11月日本一時帰国 その3 東京コミコン

今回の一時帰国は、実家の売却準備のため。
これほどホリデー色の薄い、そしてハッピー度が低い用事てんこ盛りの一時帰国は過去になかったと思う。
いや、去年の今頃もだいたいこんな感じやったのかもしれん。
去年の今頃

でも、今回3日だけ実家を離れて小旅行に。
「お楽しみ詰め合わせ」で自分を癒した。
まず幕張メッセで開催されたポップカルチャーの祭典、東京コミコン!!

出展者としてではなく、入場者としてイベントを会場で楽しむのは初めてでした。

ポップカルチャーのイベントやのに、落語もあった。
桂米多朗師匠が登場!
普段、落語にあまり興味もなければ落語を寄席で聞いたこともないって感じのお客さんたちがズラーっと客席に。
扮装している人もかなりいた。
この状況って桂米多朗師匠にとっては珍しかったと思う。
だけど、この稀有な状況下で観衆をじわじわと温めて
笑いの渦に巻き込む芸が素晴らしいったら、もう!
千葉で従兄弟夫婦に久しぶりに会って、その翌日は横浜で中学校時代からの友達夫婦と中華街で食事して、3日目は芝居見物で締め括った・・・・

いや、それ以外にも実家近辺で楽しいことあった、あった。
友達と会ったり、従姉妹宅で美味しい手料理ご馳走になったり。
みんな、年末の忙しい時にどうもありがとうね!

2018年12月13日木曜日

2018年11月日本一時帰国 その2 鯛のアラ煮

実家の近くに回転寿しと普通の寿司屋のちょうど「真ん中へん」みたいなお店がある。
お寿司は確かに回ってるけど、壁に「本日のおすすめメニュー」の短冊が沢山貼ってあって板前さんに直接注文できるのだ。お手頃価格で美味しいんよ。

お昼にひとりで歩いてそこへ行った。

まず鯛のあら煮を注文した。そして生チューも。
年を重ねるのも悪くない。ひとりでもこういうの、平気平気。

あら煮の頭部分からお箸を入れてまず一口目。
あれ? 妙に冷たい。
冷たいと言っても、温かいものが時間経ってちょいと冷めた冷たさではなくて
まだなんとなく半解凍っぽい冷たさ。

「いやいや、そんなはずはないやろう。生チューがキンキンに冷えてたせいかなあ?
私の口がおかしいんかなあ?」
などと謙虚に自分をまず疑いながら二口目・・・

やっぱり変てこりんな冷たさ。もう三口目に進む気がしない。
でも、鯛のあら煮は食べたい。どうしよう、どうしよう??

意を決して店員さんに説明して、温め直してもらうよう丁重にお願いした。
「もう一度チンしてください」とは言わなかったよ、いくらなんでも。

店員さんは平身低頭であら煮のお皿を下げて、数十秒経った頃に板前さんたちとウエイトレスさんたちがどうもザワザワしている。

「温め直して下さいってお願いせんほうが良かったかなあ?」などと私の心もザワザワ。

板長兼店長らしき人が、回転しているベルトの向こうから私にやや大きな声でこう言った。
「どうもすんません。うち、回らないホンマモンの寿司屋とちゃうんで.. こらえてな。ちょっと待って。今、作り直しまっさ!」

謝りながら本人も笑ってるし、周りのお客さんも笑ってるし、何より私の笑いが尾を引いた。

いや、ここ回ってるけど寿司屋やろう?


2018年12月11日火曜日

2018年11月日本一時帰国 その1 カレンダー

2週間ほどひとりで日本へ行ってました。
今回、オットは留守番・・・

自転車に乗ったビジネススーツの若い女性と街ですれ違った時、
前後のカゴにぎゅーぎゅー詰めのカレンダーに目がとまった。

そうそう!
日本は年末のお得意様への挨拶に来年のカレンダー渡すんよね。

オーストラリアにはそういう習慣ないなあ・・・
多分、日系の企業以外は。

父は大手の運送会社に約40年勤務した。
物心ついた頃から、父の会社のカレンダーは家族が集まる居間の同じ場所に必ずあった。
定年退職してから30年近くが経つけれど、毎年この時期に以前の勤め先から有難いことにカレンダーが届く。
介護サービス付き高齢者住宅に引っ越した今でも、父はこのカレンダーが届くのを心待ちにしている様子。

父は来年90歳になる。
東京オリンピックもテレビで観たいし、大阪の万博も楽しみにしていると言う。