実家の仏壇を処分した。
妹の意向によりお寺に閉眼供養をお願いすることに。
父は全てを近くに嫁いでいる妹に一任すると言った。
閉眼供養って何?
仏壇の魂を抜く儀式らしい。
魂だと?
まあ、ええわ。
その閉眼供養の日、住職がやって来た。
母の月参りの時なんかとは異なった読経が30分近く続いて、途中で火打ち石を仏壇前で激しく切って大きな火花が散った。
正座している私の足が痺れ始めた頃に「お経」が「マジナイ」みたいにやや変化した。
マジナイではなかったかもしれんが、私にはそう思えたんよね。
最後に住職は座布団から下りて私たちに静かにこう言いました。
「お焼香、どうぞ」
座っていた位置としては私の方が仏壇と住職に近かったし、私は腐っても一応長女。
しかし・・・
「おしょーこーって何?」
おしょーこー ➡️ お焼香 ➡️ で、どうするんでしたっけ??
妹に目で「あんた、先にやって」と促したらね、
妹は私の目玉に大きく浮かんだ??を即座に読み取ってくれた。
すまぬ!
母が他界した直後に父は仏壇を購入し、檀家として金銭面から考えると全く身の丈に合わないお寺との関係を俄かに構築した。その後長年にわたって父はかなり背伸びしてお寺との付き合いを継続して来た。
父に信仰はあるのだろうか?
信仰が人生の助けになる人もいるし、宗教は文化や芸術にも大いに力を貸したと思う。
お墓や仏壇に手を合わせることで、心が静かになると言う人もいて、私は否定しない。
全くの無宗教である私に比べて、妹には何らかの信仰心があるのだろう。
嫁ぎ先の宗教や義弟(妹の配偶者)の信仰に影響を受けているのか、受けてないのか、そこはよくわからないが。
家族でもそれぞれ違う。違うのが当たり前。むしろ違っていていいと私は思う。
今回の閉眼供養も、彼女が言うには仏壇を処分する際の「常識」とのこと。
妹の常識と同じ常識を持たない姉の私に、妹はいつもイライラしている。
積極的な宗教心を伴わずに、惰性や手続きや慣習にこだわるのはちょいと納得がいかない。お寺や墓地に縛られてそれらがストレスとなり、少なからぬ支出が頭痛の種になるならそれもどうかと思う。
「仏壇の前でお焼香の仕方もわからんくせに、年に2回だけ日本に来てごちゃごちゃ言わんといて!」
よな〜
関空からメルボルンへ戻る日の前日に、やっと実家は空っぽになった。
妹と一緒に掃除も完了。
売却仲介業者も決まった。
よーし、万歳!
実家の売却準備に際して、大いに私を助けてくれた長年私の姉代わりのような元仕事仲間、そして色々と相談に乗ってくれた学校時代からの友人達、最後に親戚(特に母方の従姉妹)に感謝します。みんなのお陰です、ホンマ。
おおきに!
0 件のコメント:
コメントを投稿