捨てられた子供用自転車を熱心に物色している親子がいた。
見てはいけないような気がしてね。
思わず目を伏せて反対側の歩道を歩いた。
いや、でも・・・別にいいやんね。
まだ使えそうなものがゴミとして捨てられてるんやもん。
必要とする人がそれを見つけて使うなら、エコやん。
「もったいない精神」バンザイや。
なのに、なんで私は目を伏せてその親子を見ないようにしたのか。
わざわざ子供連れて白昼に粗大ゴミの物色せんでもええのに・・と思ったから?
心のどこかでこの父親への侮蔑があったか、小さな男の子への哀れみがあったのかもしれん。
人を見た目で判断して・・アカンな、私。
小学校低学年の頃のことを思い出した。
3学年ほど上の近所のお姉ちゃんからかなり年季の入った自転車を譲り受けた時のこと。
父が丹念にヤスリをかけ、綺麗にペンキを塗り直してくれた。
でも、私はあまり嬉しくなかった。
当時一緒にお稽古ごとに通っていた同級生の子たちが次々と新しい自転車を買ってもらってたから余計に。
実際、次の誕生日に新しい自転車を買ってもらうことになっていた。
なのにその約束は結局なかったことになった。
故障した掃除機を父が修理した時に母が見せたちょっとがっかりした顔を今でもよく覚えている。
ゴミ捨ては紙パックを捨てるだけ・・の便利な掃除機が出始めの頃だった。
きっと母は新しい掃除機に買い替えたかったのだと思う。
高度成長時代の真っ只中やったっけ。
事務職の会社員だった父。
家庭電化製品などのちょっとした故障やら不具合の修理、そして日曜大工仕事が上手だった。
なので、実家の生活道具は電化製品に限らず全般的に寿命が長かったなあ。
長い間、世の男の人って皆そういうもんだと思ってました。
父がかなり器用な人なのだと気づいたのはだいぶ後になってから。
元カレが釘も満足に打てないのを知った時、ドライブデート中にパンクした車のタイヤ交換が自分でできずにJAFを呼んだ時などはえらくびっくりしたっけ。
それが別れの直接的な原因じゃなかったけど。(遠い目)
ウオーキングから戻ったら・・・
粗大ゴミとして前庭に出したポータブルエアコンとミシンが消えていた。
どちらも修理不可能のはず。
それでも何かの役に立つならええねんけど。